写真
北斎伝を拾い読みしていると、「写真」という言葉があり、「真」を「写す」と説明されており、一瞬吃驚。
それほどに、真実を描く、という絵画の真髄を述べたものでしょうか。
北斎のことも、絵画論も無縁なので、真の意味は理解不可能です。
小生は対象に思索を差し挟むことなく、ただ、撮っているに過ぎないだけのこと。
写真は、真実を表現する為の最も有効な手段だとは分かっていても、その意義、意味に思いを致すと、残念乍ら小生の写真は無思索の行為でしかないかも知れません。
この点、映像カメラマンの写し出す映像には、表現、意味、即ち真実を読み取ります:
1.神社に閣僚達が参拝する折に、若手の閣僚の何人かは、ニヤニヤと私語を交わしたり、先頭を歩く長老も、同様にニヤニヤしている、全体の映像の内の一部の映像ですが、厳粛さは微塵も無く、行儀も悪い姿等をカメラマンは、良く映したと感心。
2.ワクチン接種後の死亡事故で、説明をする医師の姿は、椅子に背を凭れて、悼念が些かも感じられない姿を顔面を除いて撮影されておりましたが、こちらも良く映したものと感心。
この二件の映像はつい最近の報道映像ですが、1については、海外にも配信されるとすると、恥かしい姿ではないかと、思わざるを得ません。
カメラマンは言葉では語らないが、映像、画像で真実や意味を表現する意図があるのではないか、つまり思索が伴っていると、小生は常に理解しております。
小生如き趣味で写真を撮る者も、思索を含めることが要求されるのではないかと、反省すること頻りです。
- camera:NEX-5;上掲画像「蜂」E30mm macro, その他画像 E1855mm -
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