昌平坂辺
漱石が幼児の頃に漢詩の勉強に通った話を思い出します。
ここなのか、忍ヶ丘の元の場所なのか不詳。
何れにせよ漢塾「昌平こう」はここではなかったよう(注:「こう」の漢字変換が不可)。
兎に角、明治人、江戸人共に漢詩、漢文化に傾倒した人達の多いこと、多いこと。
と思いきや、「帝説」によれば太子はに漢文化を熱心に学んだよう。
高麗からの来日僧侶からも仏教の学習をしたとの記述もあり。
7世紀頃からの影響を今更無にするのは不可能の話。
知識、文字等は致し方ないとしても、生活、思索、社会行動面ではかなりの差はあり。
社会行動面での影響は少なかったのが理解難。
一概に類似の一語で括ることも不可能。
唯一興味のある点、何故古来から外物に依拠せねばならなかったか。
その一点に関しては素人の域を脱した問題。
しかし、閑にあかせて「三国史記」「帝説」等の古い文献を拾い読みしていると、現在のありようが種々分かって来ようというもの。
全く科学性を無視した思いにて恐縮。
神田社も近くにあったりして、史跡混濁の地域を歩いているとつい身分不相応の領域にも立ち入ってしまう。
写真を撮るだけでは済まないとも思ったりする。
季節外れの紅葉を眺めていると、余計に想いが混濁する散歩でした。
- camera : camera NEX-5 w/e1855mm -
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